海野しぶきブログ 親二人、無事に見送りました

アルツハイマーでゆっくり逝った義母といろんな病気で慌てて逝った義父の介護備忘録

ひきこもり娘の祖母お見舞いを通じて、私が考えたこと 〈元の記事は2017/07/26〉

三世代同居や、近くに祖父母が住んでいる場合、病気やケガなどで祖父母が入院したり、事情があって施設に入所したら、孫がお見舞いをすることは、「普通の子」にとっては当たり前のことかもしれません。

でも、「ST気質(発達障害及びその周辺のグレーゾーン)」の子を育てていると、当たり前にできることなんてほとんどなくて、すべてが努力の上でやっているのだ、ということがわかってきます。

そのため、アルツハイマーの末期でガンも併発している、寝たきりで意識のない、余命わずかな人を見舞うなんて、娘のような子にとっては最大級の挑戦だと思うのです。

f:id:umi-shibuki:20190216131039j:image

本来は優しい子ですから、自分がお見舞いに行けないことに涙も流します。
家族もそれがわかっていますから、今回のようなことがあると、娘のがんばり一つひとつに感動して、優しい気持ちになれるのでした。

いろんな価値観の人がいますから、私のように、こんなことで娘に感動する人はそうそういないこともわかっています。
何のトラブルもない家庭では、祖父母のお見舞いでもなんでも、すべてがスムーズに進んで、感動もなくスルーでしょう。
また、わが家と同じようなST気質の家族だったとしても、やる事なす事つまずきながらの子どもに対して、イライラが募るばかりの親もいることでしょう。

私も最初はそうでしたから、気持ちはわかります。
でも今は、娘のこういうところが何事も丁寧に、小さなことに気づかせ、感動させてくれているのだと思います。

今回娘がおばあちゃんのお見舞いをしたことで、何人の大人が感動したことか…。
親だけでなく、祖父もそうですし、施設のスタッフの方まであんなに喜んでくれて。
娘自身は無意識とはいえ、そういう働きかけが親にできる、大人にできるってだけで、この子にはすごい役目があるんだなぁ、と感じるのです。

なんてオメデタイ頭、と我ながら思いますが、これまでの経験からそうせざるおえなくて徐々になってきたのであって、最初からこうだったわけではありません。
もともとは私も常識にとらわれた、ガチガチ頭のお堅い人でしたから。
こういう娘が生まれたことで、眉間にシワの寄った苦悩の日々から、少しでも笑顔を増やすためにはどういう思考をすればいいのか、悩み、考え、努力した結果の「オメデタイ頭」なのです。

物質主義、成果主義の世の中です。
競争に勝つとか、効率の良さを求めるとか、今の社会が目指しているところに全く合わない娘のような人種を育てていると、とてもいろんなことを考えさせられます。
教育のあるべき姿とか、雇用の問題とか、福祉のあり方とか、社会として取り組む課題はいっぱいあります。

でも、ひとりの親がいきなり社会を変えることはできませんから、まずは最小単位の親子の関係だな、と思うのです。

困難さを抱える人は、幸せを感じてはいけない、と思うのは間違いですよね?
どんな人間だって、笑顔で暮らしていいはずですよね?
だから、困難の中にありながらも笑顔が出せる、楽しさが家庭にあればいい。
家庭の中で、幸せを感じるエピソードが作れればいい。
そう思うのです。

少しでも笑顔を出せるように、どういうふうに物事をとらえたらいいのかを考えていくうちに、私は、娘が別に世の中の競争社会に出て行かなくてもいいんじゃないか、と思うようになりました。
幸せを、社会に出ることだけに求めるのは、逆に視野が狭いのではないかと…。
生産性を目的に生きている人にとっては呆れた意見かもしれませんが、もっと、生き物の人間として、生きているだけで価値があることに気づいてもいいんじゃないかと思います。


家族のことでつまずきを感じるのは、とっても辛いことです。
辛いのは苦しくて嫌なので、できれば経験したくないと避けたくなります。
でも、辛い経験をしたからこそ得られるものもありますから、辛さも決して悪いことではないんですよね。

得られるのは、優しさとか、思いやりとか。
些細なことに感謝や感動できる力とか。
孤独を恐れないとか。
辛さを味わった人ならではの深みのある笑顔というのもそうでしょう。

ほら。
娘はうちにいるだけで、こんなにもいろんなことを私に考えさせてくれる、大きな影響力があるのです。

f:id:umi-shibuki:20190220083838j:image
そして、この特殊な子育てから得られた経験は、確実に義母、義父のお世話にも生きているのを実感します。
さらに言うならば、娘には、80年以上生きてきた義父の価値観を変えるほどの影響力があったんです。

プライドが高くて、自分の妻がアルツハイマー型の認知症になったことを隠してきた義父ですが、娘のようなタイプの人たちが世の中にいることを知ったことは、誰でも生きているだけで価値があることを認識するに至ったようで、妻の認知症をありのままに受け入れるきっかけになったようです。
人は、いくつになっても成長できるということを、義父を見ていて私も学べました。

 

こうして、改めて数年前のことを振り返ってみると、何事も影響しあって、一つも無駄がないなぁ、ということがつくづくわかりますね。


〈今回の記事は、元の記事の後半部分をこのブログ用に書き換えました。〉