海野しぶきブログ 親二人、無事に見送りました

アルツハイマーでゆっくり逝った義母といろんな病気で慌てて逝った義父の介護備忘録

義父退院直後の状況

今回の記事は元になる記事はなく、このブログのオリジナルになります。

2017年8月の終わりに、義父が一応退院しましたので、元の不登校ブログであんまりしょっちゅう親のことを書くわけにも行かず、結構忙しくしていたのですが書けないでいた内容です。

義父は、2ヶ月の長い入院から何とかかんとか退院にはこぎつけましたが、蜂窩織炎(ほうかしきえん)は完治したわけではなく、血液の炎症反応(CRP)は相変わらず高い状態でした。
0.3以下が望ましい数値らしいのですが、
2週間ほど2.2の横ばいが続いて、ようやく1.9に下がったのを機にした退院でしたので、やはり継続した治療が必要でした。

また、これまでは整形外科で入院してたので、途中で見つかった糖尿病については退院後は内科で薬を処方してもらわなければならないとのこと。
同じ病院内で2つの科を受診しなければならないんですね。


このほか、より深刻な状況の心臓の大動脈弁狭窄症は、からだに負担の少ないカテーテルでの手術(TAVI)がまだ新しい手法のため、関東圏でも数カ所の大きな病院でしかできない、ということ。

義父がその年の6月に元々一人で心臓の検査を受けていた都内の病院がそのうちの一つでしたので、いざ手術となったらそこがいいとは言っていましたが、その前にさまざまな検査を受けなければならず、今の義父の体力では都内に何度も通うことは困難だろうということで、入院していた病院の循環器科の先生が、地元の病院でいざとなったら開胸手術ができるところに紹介状を書いてくれました。
そこならば都内の病院とも連携が取れていますし、元々都内の病院からも地元で病院を見つけるように言われていたので、これでちょうど良かったわけです。


都内の病院へは、6月にした検査結果を義父が入院してしまって行けなくなってしまったので、代わりに私が聞きに行っています。


【その記事がこちらです↓】

oyamiokuri.hatenablog.com

 

その時に、経過観察する病院を見つけて報告する、という予約を9月に入れていました。

6月の段階ではここまで入院が長引くとは思ってもいなかったんですけど、こんなことになってしまったため、結局都内の病院へは電話で事情を説明して予約はキャンセル。
その代わり地元の病院で検査を進め、体力が回復したら手術はそちらですることになりますので、その時はよろしくお願いします、的な感じのご挨拶をしておきました。

ということで、心臓の件でも早急に動かなければならない状況だったんです。


蜂窩織炎と糖尿病と大動脈弁狭窄症。

ほかにも、肩の偽痛風(ぎつうふう)と腰椎脊柱管狭窄症があります。

同じ一人の人間のことなのにバラバラのところで診てもらわなければならないし、病院への付き添いは基本的に私が一人でしなくてはならないので、なんとも責任重大でした。

しかもおとうさん、症状をドクターに説明するのも、緊張のためなのか私に話しているようには言えないんですよね。

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自分の子どもであれば親が代わりに説明するのはわかるのですが、大人の代わりに大人が説明するのって、どうもねぇ〜。
実の親子でもありませんし、おとうさんを下に見てるようで申し訳ない気持ちになってしまって…。

まあ、だいたいどこのご家庭でも親の世話をするようになってくると、親子の立場が逆転してくるようですけど…。
病院の待合室でよく年老いた親に小言を言っているおじさんおばさんを見かけますものね。

「あー、あのおばあちゃんは、きっと子どものことをああやってしつこく怒ったり叱ったりしながら育ててきたから、今になって子どもに同じことをやり返されてるんだねー。」
って、夫とよく話したものですけど、こういうふうに考えるようになったのは、私たち夫婦には不登校からひきこもりになった娘がいるからであって、彼女のおかげでいろいろと気づかされたのです。

ですから、おとうさんの前でおとうさん自身のことを詳しく説明するのはちょっと抵抗があったんです…。

でも、今思い返してみると、この頃から義父は自分で体調管理するのが難しくなってたような気がします。

ということで、次回から数回はこのブログオリジナルの記事が続きます。