海野しぶきブログ 親二人、無事に見送りました

アルツハイマーでゆっくり逝った義母といろんな病気で慌てて逝った義父の介護備忘録

退院後、ドクターの指示を聞いてくれない義父にてんやわんや

前回、長いことかかった細菌の病気、蜂窩織炎(ほうかしきえん)がようやく落ち着いて、退院を迎えることになった義父のことを書きました。


【こちらがその記事↓】

oyamiokuri.hatenablog.com

 

地元病院の主治医からは、大動脈弁狭窄症の治療を進めるため、都内の病院を予約するように指示されていました。

退院前日。
血液検査の結果、炎症数値、白血球とも落ち着いていることを伝えに来てくれたドクターに、都内の病院が退院から5日後に予約できたことを伝えると、とても喜んでくれました。

ドクターは、とにかく都内の病院で診察するまではおとなしくしていること、と義父に注意を与え、家の中でリハビリ的に動くのは構わないけれども、外出はNG、と禁止していました(文書でももらっていました)。

ところがおとうさん、その時は「はい、はい。」といいお返事をするんですけど、1日も経つと忘れてしまうみたいなんですよね〜。


2017年10月21日(土)に退院し、食事は私が買っておいたすぐ食べられるパウチものや、お惣菜を温めて食べてもらいました。

翌日の日曜日は、私が土曜日に作ったおかずを持っておとうさんちを訪れ、夫と二人で掃除したり、壊れてた電話機を買ったり。

ラジオも買い直してくれと頼まれたので買っては来ましたが、元々あったラジオが壊れたわけではなかったんですよねー。
チューニングがうまく合わせられないとか、アンテナの具合がいい場所で聞く、ということができなかったみたい…。

それに、その年の夏に2ヶ月と長引いた入院中に、義父はだいぶ手先の細かい作業ができなくなったようです。
飲み薬を小分けする容器にも指が入らなくなっていました。
病院にいる時は看護師さんが飲む分だけ持って来てくれますから不自由しなかったのですが、自宅にいるとこれまで長年使っていた小さな容器では難しそうだったので、一週間分の朝昼晩の薬が入れられるA4くらいの大きな容器を買ったりと、なんやかんやお世話をしました。

 


その翌日の月曜日の朝、どうもイヤな予感がしたので、義父宅に電話してみましたが、出ません。
携帯にかけても出ません。
何度か電話をしましたが、午後になってようやく通じました。

予感通り、一人で出かけてしまってました。

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なんと、明日は銀行に行く約束があるとのこと。
500メートルの距離なんですけど、今の義父には近くて遠い距離。
仕方なく私が車で送迎することにしました。

こんな感じですから、結局退院後も毎日義父宅を訪れ、私の生活はおとうさん中心に回ってました。
早く心臓の手術をしないと、おとうさんばかりか、私も大変〜。


この退院前後の兄弟でのグループラインは、私がしきりにおとうさんの暴走ぶりを愚痴っていました。
そして私だけでなく、夫も義兄夫婦も、ちょいちょいおとうさんに注意することが増えてきたのもこのころだったようです。

では、次回は都内の病院での診察の話です。