海野しぶきブログ 親二人、無事に見送りました

アルツハイマーでゆっくり逝った義母といろんな病気で慌てて逝った義父の介護備忘録

亡くなった義母からメッセージが届いたかもしれない話

みなさん、こんにちは。
家族支援カウンセラーの海野しぶきです。

私が思春期ブルー相談室のライブドアブログをスタートしたのが2015年。
義理の両親が亡くなって介護が終わるまで続けました。


そして介護が一段落した2019年、気持ちを一新すべく、不登校関係のブログと介護関係のブログを分けてはてなブログでスタートし、こちらの親の方は一応今回が最終回となります。

 

2017年に他界した義母は、アルツハイマーと診断されておよそ10年、寝たきりとなってからは4年ほどがんばってくれました。


寝たきりでも反応はありますから、なるべくおかあさんの気持ちを想像してお世話はしましたけど、本当のところどう思ってたかはわからないんですよね。


それでも、前回の記事にも書いたとおり、最期の数日間はおかあさんが自分の意思でこれを起こしている、と感じることがたくさんありました。


こういう人生の選び方もあるんだなぁと、しみじみ考えさせられたものです。

 


認知症って、本人が混乱してる時期は家族も辛いですけど、痛みや苦しみは少なく、家族はゆっくりと時間をかけて心の準備ができるという、いかにも長寿社会の日本ならではの特徴ある病いだと思います。

長ければ長いほど、いい思い出を振り返る時間もありますしね。


義母がまさにその典型で、最期のおかあさんはほぼ魔法つかいだったので、半ば感動しながら送り出せました。


心の中で生きている感覚は今でもあり、それは生きてたころと、なんら変わりないんですよね。


しかも私はこうやってブログ記事を書いているので、毎日思い出していますし。

感覚的には、しばらく会ってない人を思い出す感じです。


ただ連絡は取れませんし、おかあさんが夢に出てくるわけでもなく、私の一方通行な片思いですけどね。


翌年におとうさんも亡くなってからは、残念ながらおかあさんの新しいエピソードを聞くこともなくなりました。

 

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そんな中、ちょうど1年前の2019年7月1日のことです。


私は実母から呼び出され、都内で3カ所場所を変えながら、その日10時間も愚痴を聞く羽目になりました。

1日だけと覚悟して、気が済むまで付き合うと決めていたので、本来ならあまり聞きたくない内容もがんばったのです。


ここで、私の親を軽く紹介するとですね、世間体が大事でプライドが高く、差別が大好きな、いわゆる毒親です。

不登校の子を持つ親にありがちなんですけど、私自身はひたすらいい子ちゃんであることを求められて育ちましたし、自分もそうあるべきだと思っていました。

娘が発達障害と診断され、不登校になってから自分の親が毒親だと気づき、以来反面教師となってますし、私の方は心の距離を保っています。


で、ですね。

私と夫は中学時代の同級生なので、母親同士もPTAの集まりで顔見知りです。

中学以降の高校、大学は別だったんですけど、近所に住んでお付き合いは続いていたので、いずれは結婚、ということは誰もが思っていたんですね。


私としては、その前に家を出て一人で暮らしてみたかったのですが、父親が長く単身赴任してましたし、母親が断固として許してくれませんでした。

それもあって、親に気をつかい、なかなか結婚したいと言い出せずにいたんです。


私が25歳になったころ。
その当時は広告制作のバイトをしていて、たまたまウエディングの担当をしました。
たくさんのホテルや式場の資料を見るうちに、むくむくと結婚願望が強くなり…。

会社の先輩方にも相談して、付き合いが長いんだから、まず私の親を説得して、それから向こうの親に伝えて、周りから固めるのだ!と作戦を練りました。

 

そして作戦決行の日、彼の家に遊びに行ったときに「結婚したい」と話しました。


まぁ、ようするに逆プロポーズですよ。

彼はそれで熱出しちゃったんですけどね😅


半ば私に脅されて、まず彼のおかあさんに話してもらったところ、おかあさんは「やっぱり!」と言ったんですって。

 

 

で、私の母親と10時間話した日に話は戻りますが、ひょんなことから義母の話題となりました。

私が結婚したいと悩んでいた当時、私が自分の親に話すよりもちょっと前に、おかあさんから母に電話があって、

「そろそろあの子たちを結婚させてあげませんか?」

って言われたそうなんです。

 

これ、たぶん初耳。

もし、当時言われてたとしても、すっかり忘れてました。


そのとき、うちの母親はおかあさんからの提案に

「そうですね〜、もう長いですもんね。」

と返事したとか…。

 

どうりで、私が親に言ったとき反対されなかったのか、これでわかりました。

2人の外泊も、一人暮らしも、ヒステリックに拒否するばかりだった母が、手のひらを返したように結婚をOKしたのは、おかあさんからの後押しがあったからだったんですねぇ。


この話が聞けただけで、すごい収穫!
あとの母の話はもう考えなくていいや!
と思えました。


亡くなったおかあさんが、私たち夫婦を応援してくれている、と感じることができたのです。

 

実はですね、この話が聞けたから、今年4月のコロナ禍の引越しも心折れずに乗り切れたと思うんです。

ひきこもりの娘はポッキリ折れましたけど、そのケアも、今は楽しんでいます。

 

きっと私は、おかあさんとたましいのつながりがあるんですね。


こんなふうに考えると、死ぬのは怖くないし、実は楽しみなことかも、なーんて。


ただ、あちらで待ってくれている先輩方に、恥ずかしくない生き方をしなくてはいけないな。


生き切らないと。

 

生き抜かないと。

 


と、私自身は強く思っているのです。

 

 

 

   … お し ま い 。

 

 

 

ということで、記事を読んでくださった方に、最後だからこの写真を見てもらうおかな。

スマホで撮ったのがたまたま残っていました。

2016年、おかあさんの誕生祝いのときのものです。

 

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私の理想のおふたり♡

 

 

最後まで続けて読んでくださった数名の読者の方々には心より感謝しております。


今後、海野しぶきとしては、noteの記事をがんばって更新しますので、よろしければまた見に来てくださいね。

 

本当にありがとうございました😊

 

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